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冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

― ​詩集「在りし日の詩」より

冬の長門峡

――この曲はどのようなイメージで作りましたか

中也が長男・文也について思いを馳せる詩を選びました。

作曲にあたっては、難解・重厚といったイメージよも、合唱曲だと「鷗」「夢見たものは...」のような、歌いやすい美しい曲にしたいと思い作曲しました。

長門峡、流れる水、夕陽などの詩の情景をより美しく引き出せるよう、シンプルなメロディーにしています。

――この詩にはどのような思いが込められていると感じていますか

この詩は一見、部屋の中から見た自然の美しさを描いているようですが、深い哀しみが込められていると思います。

わずか2歳にして結核で亡くなった愛する長男・文也を

思い出しながら、一人でお酒を吞んでいる様子を想像すると、単調に思える詩の奥に複雑な中也の心情が見えてくる詩です。

――この曲の最も印象的な部分はどこでしょうか

水は、恰も魂あるものの如く、流れ流れてありにけり。の部分です。この「水」には文也を投影しているものと考えられます。水が流れているように文也も命があるものだったと回想しているようです。

しかし「ああ!そのような時もありき」と我に返り、文也と過ごした日々が過去のものであることを知る場面と感じられます。

――作曲において工夫した点はありますか

和声的には、他2曲とは対照的に展開型の和声を多用することで音の軽さ・美しさを表現しました。
フレーズの構成に関しては、水に宿っている「魂」の

部分を強調させるために言葉を繰り返し用いました。

「そのような時もありき」のフレーズは、

「また来ん春と人は云う」と同じ音、同じメロディーにしています。このメロディーは、文也はもうこの世に

いないという悲しみ・虚しさを象徴するものです。

​また来ん春......

また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

― ​詩集「在りし日の詩」より

また来ん春

――なぜこの詩を選んだのでしょうか

中也の数ある詩の中でも、長男である文也への思いをテーマとした曲を作りたいと思ったからです。
「また来ん春……」は、「また春は来るさ と人は言う
けれど、春が来たって何になると言うのだ。あの子(文也)が帰ってくるわけではないのに」と文也の死をかなり直接的に語っており、中也の心情が強く出ている詩だったので選びました。

――作曲において工夫した点はありますか

「また来ん春と人は言う」の歌い出しのメロディーを耳に残る音にしました。ふいに思い出して口ずさむような音を意識しました。

「お前を抱いて動物園」は、中也が文也と動物園に行ったときのことを回想するシーンです。ふわふわとしたスケールにすることで、タイムスリップするような場面の移り変わりを表現しました。

――この曲の最も印象的な部分はどこでしょうか

文也が鹿をじっと眺めているシーンです。

中也は、文也が鹿の「角」を見ていたと詠んでいます。鹿の角か、あるいは鹿の角を見つめる文也の眼差しに強い思いを感じていたことがわかります。

また、鹿の角を見ていた文也の真っ直ぐな視線はもうこの世にはない、ともけ取れる文章です。楽しい過去を思い出して込み上げてくる思いを力強く表現しました。

――和声において工夫した点はありますか

意識しているのは、詩の最後のあたりにおける現実と死を行き来しているような不安定さです。愛する文也を失った中也の、重く深い哀しみをイメージしています。

特に、「立って眺めていたっけが」の最後の音は減7音から空虚5度の和声になっていて、不気味さ、空虚な空間を作っています。

――動物園から明るい曲調に変わる部分のこだわりは何処でしょうか

この場面で表現したかったのは

キラキラした思い出」です。

ぞうを見ても、とりを見ても「にゃあ」と言っていた文也や、それを見守る家族の様子を明るくリズムよい曲調で表現しました。

「にゃあ」と何度も出てくる部分は、言葉遊びをしているようなイメージで作りました。楽しんでいる文也の様子を、猫の真似をするような声で表しています。

秋の夜に、湯に浸り

秋の夜に、湯に浸り -四行詩-

~永遠の光・永遠の安息~

おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。

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Lux aeterna luceat eis, Domine:

Cum Sanctis tuis in aeternum,

quia pius es.

Requiem aeternam dona eis Domine:

et lux perpetua luceat eis.

Cum Sanctis tuis in aeternum,

quia pius es.

―草稿詩篇、典礼文より

――なぜこの詩を選んだのでしょうか

この詩は中也が最期に読んだ詩です。
文也の死後、「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません」と詠んだ詩が残されているほど、中也は神経をすり減らしていました。
そんな中追い討ちをかけるように病気になり、文也の死から僅か1年後に30歳という若さでこの世を去ります。
中也が最期に詠んだ詩で救いの曲を作りたいという思いがあり、この曲を選びました。

――「お前はもう郊外の道を辿るがよい」の「お前」とは誰のことだと思いますか。

不特定多数のことか、あるいは自分のことか…わかりません。病に倒れ、死期を悟っている自分のことを指しているようにも聞こえます。

淡々と、独り言のように話している印象を感じたまま曲にしています。

――典礼文を組み合わせたことも、救いの曲というテーマに大きく関わるのでしょうか。

Lux aeterna は「永遠の光」、Requiem aeternamは「永遠の安息」という意味です。
心に深い哀しみを抱え、若くして亡くなった中也に安らぎと救いを与えたかったからです。そういう意味ではこの曲は
中也への追悼曲とも言えるかもしれません。

――和声において意識した部分はありますか

教会で流れる宗教曲のニュアンスを強くするために基本の和声を崩さないシンプルな進行にしています。
オルガンの音色もイメージして、特にベースは通奏低音となっている部分が多いです。
ベースは変化せずに、上から様々な光が降り注いでいるイメージで作りました。

――ゆったりと美しい曲調にしたのはなぜでしょうか。

イメージしたのは「フランダースの犬」の、教会に天使が舞い降りて主人公を天国へと導くシーンです。
常に救いの光が下りているようなイメージを音にしました。

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